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【画像あり】イタリア軍の名誉を回復するために淡々と語っていくスレ 3ケタの壁





【画像あり】イタリア軍の名誉を回復するために淡々と語っていくスレ

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Rommel.jpg


1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 22:38:16.38 ID:OK7tZc0s0
現在の日本ではヘタリアと言われるほど貧弱な第二次世界大戦でのイタリア軍ですが、全員が臆病で弱かったわけではありません
数は少ないですがイタリア軍も確かにいくつかの戦いで連合軍を撃破しました
その話をのんびりと書いていきます
他に何かあったら書いていってください
2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 22:38:49.67 ID:OK7tZc0s0
エル・アラメイン会戦につながる話を主にしていきますが、
その前にいくつか他のイタリア軍も簡単に紹介しておきます
4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 22:39:30.97 ID:Lp3f8FKmP
餓死と病死が死者の大半である日本軍に比べたら
イタリア軍のがまだ軍の体を成してる
5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 22:40:00.19 ID:OK7tZc0s0
歴史上最後の抜刀騎馬突撃を成功させた『アオスタ侯アメデオ2世』快速師団 サヴォイア騎兵連隊

東部戦線においてソ連軍の2つの大隊を相手にし、勝利を得た部隊です
重迫撃砲やマシンガン、狙撃ライフルなどで浸透戦術を行ってきた相手をサヴォイア騎兵連隊の突撃によって撃破した
現在は機甲部隊となったサヴォイア連隊だが、装輪装甲車に一台一台戦死した馬の名前をつけて、
彼らの勇敢さを忘れぬようにしているという

参考動画 「戦火の馬」での機銃への騎馬突撃

7:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 22:41:04.16 ID:ad47G8Gh0
全部ムッソリーニが悪い
8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 22:41:19.24 ID:OK7tZc0s0
オスタ公爵アメデーオ率いる東アフリカ・イタリア領守備隊

イタリア軍全体にも言えることですが、ムッソリーニの場当たり的な参戦決定によって補給や機械化の準備が全くできておらず
兵員は足りず、兵員がいても装備が足りずという状態だった。
そこに圧倒的な物量、人員を要する連合軍側が襲撃をかけたためイタリア側は始めから絶望的な状況だった
それでもアメデーオと部下たちはゲリラ戦などを行いながら、各地を転戦し激しい抵抗を続けた。
カレンの戦いではその奮戦ぶりはすさまじく、さらにイギリス軍側にインド人兵士などの士気の高い兵がいたため凄惨な戦いとなった
戦史家コートマン・マッケンジーは「『ドイツ軍の落下傘兵』と『ビルマ戦線の日本兵』と共に、
『カレンのイタリア兵』はイギリス兵を怯えさせた相手だった」と評している。
9::2013/07/12(金) 22:42:19.35 ID:OK7tZc0s0
『白い悪魔』モンテ・チェルヴィーノ山岳スキー大隊

ヘタリアネタでもあがるギリシャ攻撃の際に優秀だった者たちを選抜した精鋭部隊で、
イタリア北方の山岳地帯を守備した。
雪迷彩とスキーを駆使し山中でも機動力と隠密性を保ち、優勢だったソ連軍を足止めした。
白い悪魔という異名で恐れられた
10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 22:42:43.59 ID:MSSU7WHuO
エチオピアくらいにしか勝てなかったことで有名だが
おかげでエチオピアには美味しいイタリア料理が残ってるよ!よかったね!
11::2013/07/12(金) 22:43:28.32 ID:OK7tZc0s0
ではここからこのスレのメインである
バルカン半島、ロシア戦線、アフリカ戦線と戦いぬいたイタリア人将官の話に移ります
12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 22:44:13.50 ID:eAKt2oK7P
ロンメルが帰っちゃったときとか頑張ったのにな、チャーチルも褒めてくれたし
13::2013/07/12(金) 22:44:21.71 ID:OK7tZc0s0
その男の名はジョヴァンニ・メッセ

後に大英帝国首相チャーチルが「彼らは獅子の如く戦った」と賞賛するほどの奮戦を見せたイタリア軍の指揮官です
14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 22:45:52.47 ID:X6F86APL0
イタリアは上したに別れてからがすごかった
とか何とか
15::2013/07/12(金) 22:46:04.40 ID:OK7tZc0s0
彼は特に名門軍人の生まれというわけでもなく18歳のときに志願兵となり一兵卒としてそのキャリアを始めます
イタリアトルコ戦争で勇敢に戦い戦功をあげ昇進すると
ドイツ流の突撃歩兵部隊アルディーティ兵を創設し訓練を施し、第一次世界大戦でオーストリアを撃破する功績をあげます
これにより大佐となりますが、この時イタリア国王に気に入られ副官に任ぜられています
後に少将となり機械化兵団の少ないイタリア軍においては貴重な戦車師団をまかせられます
17::2013/07/12(金) 22:48:07.74 ID:OK7tZc0s0
どうでもいいことですが、この人はジョヴァンニ「Giovanni」で、
デスノート手書きコピーの神業を一晩でやってくれたジェヴァンニはGevanniです
聖ヨハネの英語読みとイタリア語版だと思いますたぶん
18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 22:49:59.58 ID:ad47G8Gh0
日本軍の悲惨さを見ればイタリアなんてまだまだだね
19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 22:50:11.16 ID:Zrt6NAHf0
末期の日本軍のほうがヤバイし、イタリア軍は別に普通
アメリカとかドイツとかソ連とかが基地外すぎるだけで
20::2013/07/12(金) 22:50:21.54 ID:OK7tZc0s0
そんなこんなで彼が順調に昇進していく中、ついに第二次世界大戦がはじまります

WWⅡでのイタリアは世界恐慌の煽りをもろに受けており工業力は低く、
飛行機生産は日本の3分の1ほどというありさまでした
なおかつ当初は参戦する意欲が無かったためほとんど軍の補給や機械化が進んでおらず、
石油備蓄は海軍主力艦隊を2度出撃させれば底が見えるような惨状でした…
にもかかわらず首相のムッソリーニはドイツのフランス制圧を見て自分もうまみを得ようと参戦を決定します。
22::2013/07/12(金) 22:52:45.26 ID:OK7tZc0s0
しかも参戦する気が無かったため進軍計画はたいして練られておらず、
なおかつ軍事専門家でもないムッソリーニが元帥たちの反対を無視してまでさまざまな進軍を命じており
人事においても口出しする最悪の状態だった
この、周りと協議せず独断で先行したり専門家たちの意見を聞かずに一人の人間に任せて失敗したことは
後の戦史の学者たちから揃って批難されており、独裁のリスクの一つに挙げられます
24::2013/07/12(金) 22:54:39.23 ID:OK7tZc0s0
ジョヴァンニ・メッセは大戦がはじまるとまずアルバニアの副総督に命ぜられます
ここでイタリア勢力下だった当時のアルバニアの統治を補助しながらイタリア軍のアルバニア駐屯部隊とアルバニア軍に訓練を施しました
そんな中、ムッソリーニはギリシャに侵攻することを決定します
この侵攻は親英だったギリシャからのイタリア本国やアルバニアへの攻撃を警戒したものでしたが、
既に北アフリカで英国主体の連合軍と戦端が開かれており、軍部は徒な戦局拡大を避けるべきと反対していました

アルバニアの位置

25::2013/07/12(金) 22:57:11.64 ID:OK7tZc0s0
ギリシャ侵攻の結果は…まぁヘタリアネタでも上がりますが、散々なものでした
最初は少数でなめてかかってボコボコにされるわ
アフリカ戦線からの援軍要請を無視して大軍を送り込んだのにgdgdになるわ
ドイツ軍のお荷物になってソ連侵攻のバルバロッサ作戦の邪魔になるわ…
ギリシャ軍はイギリス人からは世界最弱の一つだと笑われていましたがそれに敗れたことで、
ムッソリーニがようやくイタリア軍の現実を把握できたのが最大の収穫だったかもしれません
27::2013/07/12(金) 23:00:33.72 ID:OK7tZc0s0
そんな中でもジョヴァンニは駐屯軍やアルバニア軍を率いて活躍します
ギリシャ北部とアルバニアは接していますからここから侵入しました
彼の率いた軍は山岳地帯の防衛線を突破し、イタリア軍の中で最もギリシャの奥地まで進軍します
まぁ他がgdgdだったんでそれ以上は進めず泥沼化してしまうのですが…
彼の戦術は連度が高く勇敢な兵を機動力をいかして侵攻させるというものが基本です
それには的確で迅速な状況判断による部隊運用が必要で、これをできた将官はドイツ軍にも多くはいませんでした
この活躍から、この段階でムッソリーニはジョヴァンニをアフリカへ送っておくべきだったという者もいます
28::2013/07/12(金) 23:01:37.59 ID:OK7tZc0s0
修正 連度→錬度
29::2013/07/12(金) 23:02:14.57 ID:OK7tZc0s0
ギリシャ侵攻の解説はこれで終わりますが
イタリア・ギリシャ戦争の話をどなたか詳しい方いたらお願いします
30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 23:03:26.81 ID:ad47G8Gh0
結局逆侵攻されてやばいところをユーゴスラビアを打通してきた独軍がギリシャをひき潰しましたとさ
31::2013/07/12(金) 23:04:41.11 ID:OK7tZc0s0
1941年6月22日、バルバロッサ作戦が開始され同盟国ドイツがソ連に侵攻すると
直ぐにムッソリーニは東部戦線への遠征を準備するように軍上層部に命令します。
まぁ秘密作戦だったので事前に準備できなかったのは仕方ないにしても、
ただでさえ軍の物資や装備が不足する中の計画だったので軍上層部は当然反対しましたがムッソリーニは当然却下しました
駄目だこいつ…

バルバロッサ作戦概略図

32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 23:06:14.79 ID:ha0zWw590
ムッソ舐めすぎだな・・・
33::2013/07/12(金) 23:06:24.55 ID:OK7tZc0s0
ちなみにヒトラーはイタリアの援軍にまったく期待していなかったそうです。当たり前だ
34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 23:07:54.72 ID:xYOK+oSg0
そもそも、イタリアではスパゲッティ毎日は食べない。
お前らだって毎日餅やだんご食うわけじゃないだろ
37::2013/07/12(金) 23:11:38.04 ID:OK7tZc0s0
>>34
ヘタリア的な砂漠でパスタなどの話は誤った情報で
実際はもっと逼迫したものでした
砂漠で一兵卒がパスタは無理で、イタリア兵もビスケットを齧っていたとのこと。
それでも平時の食事にはワインがでるなどイタリア流は変わらず
35::2013/07/12(金) 23:08:52.54 ID:OK7tZc0s0
ロシア方面へ向かうイタリア軍は精鋭の自動車化師団と快速師団が配備され優れた機動力を持っておりまさに虎の子の部隊でした
指揮官は最初フランチェスコ大将が任命されていましたが移動中に病気で倒れてしまいます
gdgdで嫌になりますがこれがイタリア軍の平常運転だからもう慣れてきます
1941年7月14日、後任にギリシャ戦で活躍したジョヴァンニ・メッセ中将があてられ、
彼のロシア戦域での総統閣下の予想を裏切る活躍が始まります
36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 23:09:45.06 ID:ad47G8Gh0
湯を沸かさないと食えない米だけ持たせておかずは現地調達な日本軍はかわいそう
39:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 23:12:45.61 ID:uze1Dssw0
名前はかっこいいぞ
ジュゼッペ:ガリバルディとか
40::2013/07/12(金) 23:13:17.53 ID:OK7tZc0s0
続き

ジョヴァンニ率いるイタリア軍の対ソ戦の初陣は非常に幸運な形から始まります
ソ連軍の先遣部隊が不用意に進んでいたため、
それをイタリア軍オートバイ部隊(ベリサリエリ)からなる自動車化師団が接触後に速攻で前線を突破したことで撃破に成功したのです
イタリア軍は対戦車用の戦力が非常に乏しくT-34戦車などとの戦闘は不利と予測されていましたが、
その機動力を活かして勝利し3500名ものソ連兵の捕虜を得ました
42::2013/07/12(金) 23:17:25.88 ID:OK7tZc0s0
彼らにはイタリア流の捕虜待遇を受けさせてあげたそうです
どっかの書記長は捕虜になった自軍の兵士を裏切り者と断定してまとめて爆撃して粛清していたそうですから
下手したらソ連軍所属よりイタリア軍捕虜のほうがよk

    |┃三     , -.―――--.、
    |┃三    ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
    |┃    .i;}'       "ミ;;;;:}
    |┃    |} ,,..、_、  , _,,,..、  |;;;:|
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    |┃    |  ー' | ` -     ト'{
    |┃   .「|   イ_i _ >、     }〉}     
    |┃三  `{| _;;iill|||;|||llii;;,>、 .!-'   
    |┃     |    ='"     |    
    |┃      i゙ 、_  ゙,,,  ,, ' {     
    |┃    丿\  ̄ ̄  _,,-"ヽ     
    |┃ ≡'"~ヽ  \、_;;,..-" _ ,i`ー-    
    |┃     ヽ、oヽ/ \  /o/  |    ガラッ
43::2013/07/12(金) 23:21:30.93 ID:OK7tZc0s0
そこからのジョヴァンニの戦略はまさに「イタリア版電撃戦」と言えるものでした
イタリア軍各部隊はソ連軍が強固な戦線を構築する前に機動力を活かして突破していきます
浸透戦術のように、戦線を突破した後は敵を分断し指揮系統をマヒさせ、混乱した敵を各個撃破していく
これを基本コンセプトに次々と侵攻していきます
しかしイタリア軍はドイツ軍のように充実した戦力をもっていないため、
ジョヴァンニは戦術にアレンジを加えていました
44::2013/07/12(金) 23:23:02.29 ID:OK7tZc0s0
そのジョヴァンニのイタリア版電撃戦にするアレンジとは

「やばそうな敵との戦いは避けてドイツ軍を呼ぶ」

というものでした
45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 23:27:34.58 ID:9dI3PQIq0
世界大戦で二度も寝返ったイタリアだが、戦局にはそれほど影響を与えていなかった模様
46::2013/07/12(金) 23:27:44.37 ID:OK7tZc0s0
単独で撃破できるドイツ軍と違い、
対戦車能力などが劣悪だったイタリア軍ではソ連軍を倒すのは容易なことではなく多くの被害を伴うと予測できます
兵士が畑からとれソ連軍と違い、戦力が充実していないイタリア軍はわずかな損失でも避けたいものでした
そこで単独で簡単に倒せそうな敵以外は回避し、
ドイツ軍や他の同盟軍と連携をとるように機動力を活かして移動し複数方面から攻撃をかけるようにする、
という作戦を行ったのです
47::2013/07/12(金) 23:33:41.17 ID:OK7tZc0s0
この作戦は当たり前に思えるかもしれませんし、
実際当時の戦術研究を行っている軍人たちはみなこの有効性をわかってはいたのですがなかなかそれを実行することはできませんでした

なぜなら将官のプライドが邪魔をしたからです
敵から逃げ、友軍とはいえ他国の助けを恥ずかしげもなくためらいなく借りる
これを最初からやれる指揮官は、貴族出身の多かったイタリア軍将官にはほとんどいませんでした
ドイツ軍やイギリス軍にも多くはなかったでしょう
どれほどの兵士たちの命が将官や政治家のプライドを守るため失われたのか、想像もできません
49::2013/07/12(金) 23:39:45.54 ID:OK7tZc0s0
その後ジョヴァンニのイタリア軍はドイツ軍とともにペトコリフカ市を守備するソ連軍3個師団を
巧みに包囲殲滅して1万3000名の捕虜と80門の野戦砲を鹵獲に成功し、
ドイツ軍から賞賛と信頼を得るようになります
また、このころに上記の快速師団サヴォイア騎兵連隊が重要な戦略拠点確保に成功し名声をあげています
50::2013/07/12(金) 23:44:58.37 ID:OK7tZc0s0
しかしバルバロッサ作戦は書記長のためらいなき人海戦術の前に遅滞を余儀なくされます
大きな損失をだせないジョヴァンニは侵攻速度を緩め慎重にならざるを得なくなりました
これはドイツ軍も同じでした



そして、ロシアの冬が来ました
51::2013/07/12(金) 23:53:29.70 ID:OK7tZc0s0
ジョヴァンニのイタリア軍はギリシャ戦域で山岳戦を戦ったりイタリア北部の山岳地帯で戦うことを想定していた兵士が所属しており、
アルプス山脈用の冬季装備を用意していました
しかしロシアの冬の圧倒的な寒さは彼らの想像を上回るものであり、彼らを苦しめました
それを利用しソ連軍は反攻を強めます
イタリア軍はおされ、守勢に回ってしまいます
52:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/12(金) 23:57:05.07 ID:VlH492BO0
イタリア軍は砂漠でパスタゆでてたとかいうコピペあるけど
密林で米炊いてた日本人が言っちゃいけないと思うの
53::2013/07/12(金) 23:57:25.66 ID:OK7tZc0s0
しかし12月に白兵戦闘を制して前進に成功
ソ連軍のリコヴォに対する攻勢を黒シャツ隊などを初めとするイタリア軍の守備部隊が果敢に防ぎ、
救援に訪れた友軍の支援でこれを撃退しました
この戦いでジョヴァンニ将軍は新たに900名の戦死者と引き換えにソ連軍から1万2000名の捕虜と幾つかの鹵獲兵器を得ています

ブラウ作戦までの枢軸軍侵攻図

54::2013/07/13(土) 00:04:41.67 ID:GAwkNi1j0
この時にジョヴァンニはかなりの名声と信頼を得ることができました
しかし、幸運は長く続きませんでした
1942年7月、ドイツ軍が東部戦線の長期戦化を睨んでソ連南部の資源地帯への夏季攻勢を立案すると、必然的に同盟軍戦力が重要視されるようになります。
ドイツ軍参謀本部はイタリア陸軍に大規模な増援を要請し、ムッソリーニはこれを歓迎します
かつて自分を侮っていた者たちが見直して助けを請うて来たのですから気分は最高だったでしょう
…それゆえに前線の将校の意見を無視することになります
55::2013/07/13(土) 00:07:18.50 ID:GAwkNi1j0
乏しい軍の戦力をこれ以上削る事は自殺的行為だとジョヴァンニは確信しており、はっきりとムッソリーニの考えに反対します
そもそもジョヴァンニは対ソ戦がこう着する前から、
ムッソリーニの個人の見栄を重んじるような無計画な装備・兵站でのロシア遠征を批判していました
独裁者に反対した彼はソ連方面総指揮官を解任されます
57::2013/07/13(土) 00:13:33.24 ID:GAwkNi1j0
ムッソリーニはその後精鋭の山岳師団や歩兵師団をつぎつぎとロシア戦線に投入、
ついには23万人もの兵力をつぎこむことになります
ジョヴァンニがいなくなった後もイタリア軍は乏しい装備ながら必死で戦い苦しみながらも戦果をあげます
以前から指摘されていた対戦車用兵器の脆弱性をつかれソ連にT-34戦車の投入で苦しめられますが、
6月に開始されたブラウ作戦では兵士が突っ込み戦車に突っ込み火炎瓶で撃破して前進に成功します
ちなみにこのとき得たT-34戦車をイタリア技術部隊はいろいろ改造してどP40重戦車を作っています
58::2013/07/13(土) 00:18:10.93 ID:GAwkNi1j0
しかしもはや泥沼になった東部戦線はどうしようもなく、
スターリングラードの戦いがこう着するとソ連軍は大反攻に転じます
天王星作戦などでジョヴァンニが必死に温存したイタリア軍は大きく削られることになります

天王星作戦などのソ連大反攻



しかしこの場ではその話はしないことにします、ジョヴァンニが転属したアフリカ戦線に移ります
59::2013/07/13(土) 00:27:39.90 ID:GAwkNi1j0
ジョヴァンニが転属してくる前のアフリカ戦線の簡単な説明をしますと

イタリア軍は雑魚でした
ムッソリーニがドイツに頼まれてエジプトなどの連合軍側領土に侵攻しますが、
逆にボッコボコにされます(しかもドイツ軍との合同作戦案を却下しイタリア軍だけでやりました)
兵士の数はあったのですが機械化されておらず徒歩で兵士が進軍するなど機動力も皆無。
イタロ・バルボ元帥、ロドルフォ・グラツィアーニ元帥ら現地司令官は単独での英軍への勝算はないと通告したにも関わらずムッソリーニはいけると判断
独裁者が判断したのだから軍はやるしかありませんでした
そして案の定イギリス軍の機動力の前に包囲せん滅を受け大量に捕虜をだすことになるのです…
戦争は数だけじゃないんだよ兄貴
61::2013/07/13(土) 00:37:52.20 ID:GAwkNi1j0
援護を要請して来てもらったはずなのになぜかそいつらに助けを求められるはめになったドイツ軍でしたが、
とある名将が五臓六腑の活躍を見せ戦線をたて直すどころか戦況をひっくり返します
62:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 00:38:00.78 ID:mqyoyiNt0
装備のブレタM30も砂漠で使うには最悪だったしね
65:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 00:39:16.04 ID:GAwkNi1j0
>>62
でもあれデザインかっこいいです
63::2013/07/13(土) 00:38:40.64 ID:GAwkNi1j0
八面六臂でした
五臓六腑ってまき散らしてどうすんだw
66::2013/07/13(土) 00:40:20.83 ID:GAwkNi1j0
その将校とは、エルヴィン・ロンメル元帥
「砂漠の狐」と呼ばれ連合軍を震撼させた男

彼は天才的な戦術家であるだけでなく、凄惨な戦場においても騎士道精神を持ち合わせ敵味方問わず尊敬されました。

そんなロンメル元帥によってイタリア軍は叩きなおされます
67:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 00:42:22.27 ID:mSQyLByY0
イタリアが列強として恐れられていた・・・
そんな時期もありました
69:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 00:48:06.19 ID:mqyoyiNt0
>>67
少なくともムッソのバカ野郎はあの時代でもそう認識してたみたいだけどな。
演説かなんかで中立を続けてたら大国の地位を失うとか言ってなかったっけ?
68::2013/07/13(土) 00:44:58.61 ID:GAwkNi1j0
イタリア軍将官は貴族出身が多く、高慢で下っ端の兵士のことを考えない者が多くいましたが
ロンメルはその考え方からまず変えます
そして無意味な消耗を減らし、密接な関係によるすばやくて精度の高い情報伝達を作り上げます
それにより連携や機動力なども向上しアフリカ戦線担当軍は大幅に錬度を向上させます

ロンメル曰く「血を流すな、汗を流せ」
83:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 01:45:00.49 ID:mqyoyiNt0
保守がてらに>>68へ勝手に補足

イタリア指揮官は命令を自己の責任と判断においてではなく、上層部の書類上の決裁を取ってからってパターンだった。
よって部隊が壊滅してから撤退許可書が届くという事案が……
あとロンメル流の部下と共に汗を流すやり方で成功した中堅将を見て、貴族将校はその事実を隠蔽しようとしたり。

下は有能なの多いのにあんまりだよマジで
70::2013/07/13(土) 00:50:42.96 ID:GAwkNi1j0
しかし連合軍も新戦力を投入してきます
むしろ連合軍は後半になればなるほどその体力にものをいわせました
某国が真珠湾に奇襲したためアメリカ軍が参戦していましたし、かなり厳しい状況になってきます
72::2013/07/13(土) 00:58:07.47 ID:GAwkNi1j0
そういったころにジョヴァンニはアフリカ戦線にやってきます
フランス軍が寝返り、アメリカ軍とイギリス軍の大攻勢がはじまり、
ロンメルとジョヴァンニの2人の名将といえど非常に苦しめられます
まぁそれまで満身創痍の状態で勝ちまくってたロンメルが異常なだけでそれまでも無茶苦茶苦しかったんですけど。
73::2013/07/13(土) 01:02:53.34 ID:GAwkNi1j0
イタリア軍はドイツ兵がその4分の1を占める混成部隊で、ドイツ軍にあまり信用されていませんでした
しかしジョヴァンニが来たことに加え、ロンメルの神がかった決断力に衰えが見え始め、
更にロンメルの病が悪化したためドイツ軍にイタリア軍のおもりをしている余裕はもはやなくなっていました
74::2013/07/13(土) 01:12:24.32 ID:GAwkNi1j0
連合軍の大反攻はアメリカ軍の戦車大量陸揚げに始まり、連合国の植民地から徴兵した軍団
オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカ・インドなどの同時進撃で進んで行きました
ロンメルは連合軍が集結しきる前に各個撃破しようと考えます
英軍を包囲しようと8月31日進撃を開始しますが、イギリス軍第7機甲師団の必死の抵抗の前に突破に手間取り
北から英第8機甲師団、東からは第7機甲師団がイギリス軍の救援にやってきたため、第7機甲師団撃破する当初の計画を諦めます
それでもロンメルは諦めずに迂回し、高地に陣取る英軍本陣を突こうとします
75::2013/07/13(土) 01:19:50.48 ID:GAwkNi1j0
しかし補給不足の中、必死に進軍する第15装甲師団の前に現れたのは敵本陣ではありませんでした。
イギリス第22戦車旅団が立ち塞がり、ロンメルのドイツ装甲師団は敗走します


書きためしていないため遅くて申し訳ありません
76:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 01:24:55.62 ID:Hooef5tW0
一向に構わん
77:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 01:26:08.19 ID:0Bco6pAqP
日本がインド洋にもっと援軍をよこさなかったのが悪い
79::2013/07/13(土) 01:29:59.26 ID:GAwkNi1j0
ロンメルすら敗れイギリス軍の援軍合流妨害に失敗したため枢軸側は窮地に立たされます
そして連合軍はアフリカ戦線のドイツ・イタリア軍を完全に撃破するための戦闘のために準備を始めます
そして、(第二次) エル・アラメイン会戦が始まりました
古い映画ですがこの戦いについて細かく描写されています

80:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 01:36:48.93 ID:OoqcO0cu0
アレクサンドリア港攻撃はすげーかっちょええよな
81::2013/07/13(土) 01:37:53.46 ID:GAwkNi1j0
イギリス軍は兵員数・戦車数で枢軸軍の二倍以上の数がありましたが、
それでも油断せず、勝利を確実にするため大規模な囮作戦オペレーション・ライトフットを実行します
南方から攻めるように見せかけて実際には北側から攻めることを秘匿するためと、
攻撃開始時期が差し迫っていないと思わせるために、偽補給品集積所をはるか南方後方に設置。
戦車・大砲は張りぼてを置く一方、本物はトラックに偽装。偽水道パイプラインを南方に延伸しました
84::2013/07/13(土) 01:45:15.57 ID:GAwkNi1j0
これにドイツ軍は完全に騙され、襲撃してこないと判断してしまったためロンメルが持病治療に一時帰国してしまいます
もちろんロンメルも何も考えずに帰国したわけではなく、山のような対戦車地雷をセットしてから帰国しました
そして、戦いの最初の段階は連合国側で参戦していたオーストラリア軍の旅団の攻撃によってはじまりました
85:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 01:46:10.96 ID:GAwkNi1j0
10月23日、満月の静かな夜に突如1000丁以上の銃や砲が一斉連射射撃を始めました
戦線の北部の64キロ以上にわたる地域に雨あられとすさまじい物量攻撃がしかけられ
20分以上も激しい一斉爆撃がおこなわれました
そのあとに精密射撃を可能とする歩兵師団が一斉に前進を開始、5時間半にわたり前進し
総計で600回以上の一斉射撃が行われました

wwworg4333683.png
86:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 01:46:49.13 ID:GAwkNi1j0
画像見れますかね?
88::2013/07/13(土) 01:54:27.48 ID:GAwkNi1j0
オペレーション・ライトフットという作戦名には理由がありました
大量に設置された対戦車地雷には走っていく兵士は軽すぎて反応しなかったのです
それゆえに奇襲攻撃の効果が増すという作戦でした
歩兵の後に工兵が続き地雷を処理し戦車の道を作っていきました
ただこの作戦はロンメルがあまりに大量に地雷を設置させていたため当初の予定ほど侵攻することはできませんでした
10月24日の夜明けまでに地雷原を8キロほど前進しましたがそこで反撃にあい停止しています
その他、インド軍などが戦線の中心部に注意をそらせようと陽動の攻撃をしかけています
89::2013/07/13(土) 01:55:58.04 ID:GAwkNi1j0
ロンメルは大反攻が始まったと知り、急いで戻ってきましたが、既に代理指揮官のシュトゥンメは死亡していました
ゆえにジョヴァンニは自分の担当していたところだけでなく広域の指揮をとらざるをえなくなっていましたがそれをよくこなしていました
24日は偵察の後にいくつかの侵攻がなされましたが前日ほどではなく、なんとか食い止めることに成功しています
戦線南部でも侵攻は行われ、地雷を取り除くことに成功しましたが、その後激しい攻撃を受け連合軍は撤退しています
このとき空爆に使われた爆薬の量は122トンに及びました

90::2013/07/13(土) 01:57:01.02 ID:GAwkNi1j0
25日にも連合軍は南北で侵攻をしかけましたが、これもそこまで成功はしていません
といってもイタリア軍は500名以上が一カ所の侵攻だけで死亡するなど凄惨な状況になりつつあります
ジョヴァンニはロンメル不在の中で、最も影響力があったと言えるかもしれません

91::2013/07/13(土) 02:03:58.93 ID:GAwkNi1j0
夜になっても連合軍は量を活かして歩兵による攻撃を続行していますが
地雷原がかなり邪魔になっています
また、継続的に空爆を行っています

92::2013/07/13(土) 02:04:30.35 ID:GAwkNi1j0
南部のイタリア軍は26日の午前3時ごろに激しい集中攻撃にさらされますがそれに耐え抜きます



多角的な集中砲火にさらされながらも地雷原を活かしながら見事に撃退しています
士気が崩壊しなかったのが不思議なくらいの砲火を浴びています
ここまでの各図を見ていただければわかりますが、イタリア軍は侵攻してきた敵を自軍の正面でなくとも援軍にかけつけ、
二方向以上の攻撃にさらされながらも戦線の崩壊を食い止めています
93:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 02:08:18.35 ID:GAwkNi1j0
ロンメルは25日深夜に戻ってきます。
すさまじい砲撃と空爆、歩兵突撃によって戦線の南端と北端は大きな被害を受け、特に北部はボロボロになっていましたが
それでも戦線は崩壊していませんでした
そこにはイタリア軍の迅速な機動による援護と、多方向から攻撃されながらも耐え抜いた勇敢さが際立っていました
94::2013/07/13(土) 02:10:17.98 ID:GAwkNi1j0
イタリア軍トレント師団(図の中央やや北部よりを担当している部隊)はその損耗率が50%を超えるすさまじい状態にもかかわらず
踏みとどまりなおかつ味方を援護していました
歩兵は50%が失われ、砲はほぼ消失していながらの戦闘でした
ロンメルはこのときイタリア軍に対する認識を改めています
115:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 02:47:19.41 ID:mqyoyiNt0
>>94
南部はフォルゴーレ空挺師団も大活躍だったな
まともな対戦車兵器は地雷と火炎瓶なのにイギリス戦車をボコるっていう
96::2013/07/13(土) 02:15:40.36 ID:GAwkNi1j0
また、イタリア軍リットリオ師団(図の上部、北部担当)は
26日午後の連合軍の再度の侵攻を防ぎました
このときドイツ軍が同地域を担当していましたが、イタリア軍による活躍のほうがドイツ軍を上回っていました

97:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 02:17:36.83 ID:ne3qEoVU0
ロンメルって地雷大好きっ子だったんだよね
部下が花咲きまくってる野原を見て綺麗っすねーとか言ってたら
「おいちょっとノート取れ、この場所には1000個ぐらいの地雷が必要だ」とか言ってたそうだし
103:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 02:27:26.23 ID:8uzv1/eP0
>>97
まあ、「悪魔の花園」やね。
98::2013/07/13(土) 02:18:00.36 ID:GAwkNi1j0
ロンメルも負けてはいませんでした

この時点で次の連合軍の攻勢を読み切り、北部の各部隊に伝令を飛ばし部隊を移動させます
そして26日から27日にかけての深夜に北部で侵攻をかけてきた連合軍を撃退し、逆に押し返します
wwrg4333913.png
100::2013/07/13(土) 02:23:56.84 ID:GAwkNi1j0
それでも連合軍は北部で攻勢をしかけますが、
ドイツ軍とイタリア軍の連携によって対戦車砲の側面攻撃を戦車を部隊に甚大な被害を出したため近づくことができません
ジョヴァンニはドイツ人とイタリア人の双方をよく纏め、ロンメルが残した防衛計画の完成に全力を注ぎます。
これらはフランスのヴィシー政権時代に残された要塞線マレス・ラインを活用するもので、
ジョヴァンニはカセリーヌの勝利に士気を上げるアメリカ軍が追撃に移るまでに要塞線の再建を完成させます
アメリカ軍はプギリスト(拳闘士)作戦を発動してマレスラインに攻めかかったが、ジョヴァンニ率いる伊第1軍に大きな苦戦を強いられ、51両の戦車が破壊されます。
101:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 02:24:34.70 ID:GAwkNi1j0
イギリス軍はこの反撃を受けて、作戦を修正
27日の朝に、戦線南部の第7師団を北部に移動させます
この英国軍の機動力もすさまじいものがあります
rg4333925.png
102::2013/07/13(土) 02:26:35.73 ID:GAwkNi1j0
英軍の北部進攻部隊はアメリカ製の高価な砲弾を無数に撃ちまくり
ロンメルが構築した地雷原との複合陣地、「悪魔の花園」をあっさりと掃討して
105:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 02:32:57.45 ID:GAwkNi1j0
>>102
最後の部分は

「しています」

です
104::2013/07/13(土) 02:32:16.88 ID:GAwkNi1j0
ロンメルは2カ所で自軍精鋭部隊を使い反撃を試みます
午後2時、装甲車などの機動力ある軽装甲部隊も使い、第21及び第29戦車師団の奇襲砲撃を行います
ほぼ同時に連合軍も最北端で侵攻作戦を開始します
これは両軍ともに防衛側が踏みとどまり、攻勢は失敗に終わり、夜のうちに痛み分けとなります
ロンメルは精鋭部隊を使いましたがその圧倒的な物量差にはじき返されショックを受けました
rg4333964.png
ジョヴァンニは攻撃部隊を指示しながらも各部隊の連携をとりながら防衛の命令をだすよくわからないほどの仕事量をこなしています
106::2013/07/13(土) 02:33:51.43 ID:GAwkNi1j0
このときの攻防はすさまじく、イギリス軍にはヴィクトリア十字勲章を与えれた兵士もでます
多くの歴史家がこの日の攻防を多くの戦争の中でも最も激しい日だと言っています
ルーカス=フィリップスはこのときの情景を以下のように描写しています

The desert was quivering with heat.
The gun detachments and the platoons squatted in their pits and trenches, the sweat running in rivers down their dust-caked faces.
There was a terrible stench. The flies swarmed in black clouds upon the dead bodies and excreta and tormented the wounded.
The place was strewn with burning tanks and carriers, wrecked guns and vehicles, and over all drifted the smoke and the dust from bursting high explosives and from the blasts of guns.
107::2013/07/13(土) 02:38:14.06 ID:GAwkNi1j0
連合軍はこの後も物量を活かし次々攻勢を仕掛けますが、
そのたびに対戦車砲や戦車からの集中砲火を受け跳ね返されます
ついに休止をとらないと続けれない状態にまで追い込まれます
2時間半ほどの休止の間に連合軍は多くの死傷者がでて機能不全に陥りかけている部隊を再編成します
その間もイタリア軍とドイツ軍への空爆は続けられました
28日のことですが、オーストラリア兵は勇敢に突撃し、そして跳ね返され次々と死んでいきました
そしてそれを跳ね返したイタリア軍の部隊は全滅しました
対戦車砲兵隊の抵抗はすさまじく、20名の負傷者が翌日捕虜になりますが、彼ら以外は全員戦死しています
108::2013/07/13(土) 02:40:11.87 ID:GAwkNi1j0
ロンメルはこの時の戦闘に対し
"The German soldier has impressed the world, however the Italian Bersagliere has impressed the German soldier."

と驚嘆の言葉を残しています
109:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 02:40:33.53 ID:argf6g880
日本語でおk
125:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 03:07:23.46 ID:8uzv1/eP0
>>109
砂漠は熱気と共に震撼した。
大砲分隊と小隊は塹壕に這い蹲らせられ、滝のように流れる汗に埃が張り付いて顔を覆った。
そこは耐え難い悪臭が満ちていた。遺体と排泄物の上を黒雲のごとく覆う蝿に兵士たちを苦しめられた。
あたりは燃え盛る戦車と運搬車両がぶちまけられ、砲と車は破壊され、高性能火薬と大砲の爆発による
煙と埃で覆いつくされていた。


独逸軍人は世界に感銘を与えた。しかしながらイタリアの狙撃部隊は我々独逸軍人に感銘を与えた!

かなりいい加減な和訳。
110::2013/07/13(土) 02:42:05.51 ID:GAwkNi1j0
ジョヴァンニは後も防衛線を構築しながら巧妙な後退戦を行い、
エル・グェタルの戦いで連合軍側の戦車を50両以上破壊して、約5000名の兵士を防衛線で殺傷します。
しかし連合軍もスピキオ作戦、バルカン作戦など攻勢を続け、徐々にチュニスへ迫り続けた。
ドイツ空軍のマルティン・ハルリンクハウゼン空軍大将と
イタリア空軍のリノ・コルソ・フォギエレ空軍参謀長によるチュニジア制空圏維持の努力も、連合軍のチュニジア航空戦(フラックス作戦)によって水泡に帰しました。
111::2013/07/13(土) 02:42:57.98 ID:GAwkNi1j0
ロンメルはその後海岸沿いの地域で攻勢を仕掛けようとしますが
org4334032.png
これは連合軍将校モンゴメリーに察知されてしまいます
モンゴメリーもまた、名将と呼べる人物であり、
損耗した各部隊を編成しなおしドイツ軍の必死の攻勢を防ぎます
org4334039.png
この時の情勢ではもう完全にドイツ軍はイタリア軍を信用しきっていることがわかります
112::2013/07/13(土) 02:44:40.74 ID:GAwkNi1j0
しかしこのドイツ軍を結集した攻撃が失敗したとき、もはやどのような戦術を持ちいても勝ち目が無いことをロンメルは悟っていました

さらに、11月1日に連合軍のレトリビューション作戦によって補給船が沈められたことを知り、
ロンメルはもはや戦線の維持も不可能なことを知ります

そして、ついに退却を開始します
一方でジョヴァンニは海路も封鎖されるともはやチュニジアへの補給はおろか、脱出も絶望的となったことを悟りました
www.dotup.org/uploda/www.dotup.org4334068.png
113::2013/07/13(土) 02:45:55.22 ID:GAwkNi1j0
そして、このエル・アラメインの戦いの決着はつきました
114::2013/07/13(土) 02:47:14.44 ID:GAwkNi1j0
10月23日から11月1日にかけて、連合軍の反攻を効果的に阻害したのは、ドイツ軍がお荷物扱いをしていたイタリア陸軍であった。
南部地区を守るフォルゴーレ空挺師団(it)は兵力比1:13、戦車比1:70、歩兵用の対戦車装備は火炎瓶と地雷だけという絶望的な状況にもかかわらず、
大胆な肉薄攻撃によって連合軍の戦車部隊に損害を強要し、本格的な攻勢を2度に渡って退けています
イタリア軍部隊の思わぬ抵抗に対しチャーチルはこう言いました

「彼らは、獅子の如く戦った」
116::2013/07/13(土) 02:48:03.16 ID:GAwkNi1j0
イタリア軍の損害は著しく、ドイツ軍と共にイタリア軍がこの地を撤退したときには壊滅状態であった
117::2013/07/13(土) 02:51:54.03 ID:GAwkNi1j0
今こそ全面攻勢の時と見たモントゴメリーは「スーパーチャージ作戦」を発動し、北部での大攻勢を開始します

もはや成す術なしと判断したロンメルは、ヒトラーにエル・アラメイン戦線から大幅に撤退することの許可を求めます。
だがそれに対するヒトラーの返答は死守命令であった
118::2013/07/13(土) 02:53:18.06 ID:GAwkNi1j0
この死守命令にロンメルは絶望してしまいます。
その間も独伊軍は大打撃を受け続けた。隷下のアフリカ軍団長ヴィルヘルム・フォン・トーマ装甲大将は死守命令に激怒して
「総統命令を遵守するため」自ら最前線に赴き、突撃をかけて英軍の捕虜となりました
南方総軍司令官アルベルト・ケッセルリンクの取りなしにより11月4日になってようやくヒトラーの撤退許可が下ります
しかしすでに撤退の好機は逃しており、英軍から激しい追撃を受けました
撤退に際してドイツ軍は9000人、イタリア軍は2万人の戦死・行方不明者をだすことになり、敗走に近い撤退となってしまった
119::2013/07/13(土) 02:56:08.77 ID:GAwkNi1j0
数多の死者を出しながら文字通り必死に守ってきた戦線を放棄し撤退するとき



彼らは何を思っていたのでしょうか

120::2013/07/13(土) 02:58:43.24 ID:GAwkNi1j0
ジョヴァンニはその後も命令を守り
抵抗を続けながら撤退戦を実行
絶望的ともいえる撤退戦の中ですさまじい数の死者をだしながらも連合軍を苦しめ続ける

121::2013/07/13(土) 03:00:04.37 ID:GAwkNi1j0
1943年5月6日、遂にチュニスが陥落するとメッセはこれ以上は組織的な抵抗が不可能であると判断し、
ハンス=ユルゲン・フォン・アルニム上級大将との話し合いの上で連合軍との交渉を決定した。
5月13日、本国の許可を得てジョージ・パットン大将、ハロルド・アレクサンダー大将ら米英両軍の司令官に枢軸軍の武装解除を提示、
アルニム上級大将と共に連合軍によって拘束された。
122:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 03:02:42.03 ID:0fnZgbfG0
おもしろい、前にプーちんスレ立てた人?
129::2013/07/13(土) 03:16:25.02 ID:GAwkNi1j0
>>122
はい
あのスレも読んでくれたんですね
ありがとうございます

今回は悲しい終わり方で文章も英語直訳が多くあまり面白くなかったかもしれませんが
ここまで読んでくれて感謝です
123::2013/07/13(土) 03:03:09.29 ID:GAwkNi1j0
ここにジョヴァンニの戦いの日々は終わりを告げました
124::2013/07/13(土) 03:05:51.36 ID:GAwkNi1j0
その後ムッソリーニは失脚、殺害されます
政権が変わったイタリアは連合軍側に寝返りますが、国内の旧勢力との内乱が発生
この内乱により再び多くの死者がでることになる
126::2013/07/13(土) 03:12:37.15 ID:GAwkNi1j0
ムッソリーニを失脚させたのは国王と王党派でしたが、連合国も国民ももはや王政の存続を望まず
イタリアは戦後、共和制へと代わります

イタリア軍将校ジョヴァンニ・メッセは敵であった連合軍からも尊敬され、捕虜としての扱いは受けることはありませんでした
しかし彼はもはや軍に戻ることはありませんでした
彼は政治家としても戦後のイタリア共和国の復興に貢献しましたが、最後まで王党派であったと言われています


1968年12月18日   その生涯を終えます
127:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 03:13:13.75 ID:GAwkNi1j0
  
   
  ~ 終わり ~
128::2013/07/13(土) 03:15:08.49 ID:GAwkNi1j0
gdgdと長らく語ってきましたがこれでこの話を終えさせていただきます
ここまで読んでいただきありがとうございました
弱小と言われるイタリア軍の中にも、このような人がいたと知ってほしくてスレを建てました
一人でも読んでくれたら満足です
ありがとうございました
131:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 03:19:21.80 ID:W7vVThVQ0
眠いので後で読むわ1乙
132:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 03:29:33.19 ID:GAwkNi1j0
途中でロンメル戦記になりかけた
やっぱこの人やばいわ
133:大義私 ◆aWfrM7UWWY :2013/07/13(土) 03:29:41.60 ID:5W0L6OtQ0
乙ですた

オート・メラーラ76mm砲は世界最高の中型艦向け艦載砲
134:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 03:33:15.48 ID:Hooef5tW0

こうして見るとイタリアって主要国の中では国力が低かっただけで軍そのものは決して弱くはなかったんだな
極限状態の戦線でものすごい抵抗を見せるのは枢軸のどの国も似てる
137::2013/07/13(土) 03:46:48.40 ID:GAwkNi1j0
>>134
おっしゃる通りだと思います
135::2013/07/13(土) 03:34:05.81 ID:GAwkNi1j0
途中で師団と旅団がこんがらがってます
138:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 03:48:20.05 ID:mqyoyiNt0
乙だな書き貯め無しで凄い文章量とわかりやすさだった。
139:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 03:51:35.69 ID:YQW4Aoca0
イタリア人は女が絡んだ時真の力を発揮すると言われている
140:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 04:12:45.02 ID:mTIBqQAL0
古代はローマの栄光
近代は英雄ガリバルディと天才外交官カブールのコンビ

イタリア最大の暗黒期は中世ですわ
そもそもイタリアって国がなかったし
145:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/13(土) 05:25:22.50 ID:sHtn2jmm0
どこの軍も上層部がアレだと、その分前線の連中は上のダメさを挽回するかの如く死力を尽くして戦うもんなんだな……

朝からとても良い物をありがとう
イタリア軍の名誉を回復するスレ
引用元:http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1373636296






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